『コピーライター物語』その2
6畳と3畳のふた間に小さな台所つき。共同トイレ、風呂なし、エアコンもちろん
なし。玄関に公衆電話が1台。交通不便、日当たり不良、夏は蒸し蒸し、冬は冷え冷
え、家賃は確か3万円前後だったような。
僕がハタチの頃に住んでいたオンボロアパート「日月荘」です。「荘」がいかにも
昭和でしょう。その狭く暗い部屋で僕は、今でいえばニートというかフリーターとい
うか、自堕落な生活を送っていました。でも、それなりに楽しい一人暮らしでした。
青春ってやつです。
ちなみに、最近はあまり耳にしませんが「フリーター」とはフリーアルバイターの
略称です。また、「ニート」はノット・イン・エデュケーション・ナンタラとかいう
英語の頭文字を取った名称だそうで、学生でもなければ労働者でもない人のことを指
します。
しかし、なぜそんなオシャレな呼び名を付ける必要があるのでしょうか。昔は、働
けるのに働かない僕のようなだらしない若者は「プー太郎」と呼ばれました。略して
「プー」です。クマさんじゃありません。本当です。関西だけ?
「プーなんか嫌や」と思い、とりあえずバイトをするも長続きせず、これじゃいけ
ないと再びバイトをするものの、やっぱりすぐに辞めてしまうという負のスパイラル
に陥っていた、ああ悲しき青春時代。雇うほうにとっては迷惑千万です。皆さま、そ
の節は申し訳ありませんでした。
求人情報誌も『an』なんてシャレたネーミングではなく、『日刊アルバイトニュー
ス』というわかりやすい名前でした。インターネットなぞ影も形もありませんから、
町の本屋さんで買います。百円。当時の僕の“愛読書”でした。
その愛読書で見つけた何度目かのバイト先が、なんだかカッコ良さげな広告関係の
会社。古いマンションの一室が事務所で、クライアントはスナックやラウンジといっ
た、いわゆる水商売のお店ばかりでしたが、それでもなにやらシャレオツ。格好から
入る僕には合っていたのでしょう、ここでのバイトはしばらく続けられました。しか
し、ここから輝かしい(?)キャリアがスタートすることを、ハタチのイケメンはま
だ知りませんでした。
つづく